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2018年11月18日 (日)

旧東ドイツの話を聞きました。

先週の土曜日横浜市内のレストランで旧東ドイツ出身の方を囲み、「旧東ドイツ~遠い国と遠い時代への旅~」という、統一前の東ドイツでの生活についてお話を聞けるイベントがありました。

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旧東ドイツというと、合唱団好きの自分はドレスデン、ライプツィヒがまず浮かびます。あと、レコードのエテルナというレーベル。ドレスデンは子どもの頃に愛読したエーリヒ・ケストナーの生誕地でもありました。

話し手のMさんの出身地は東ベルリンの東の郊外(田舎)のほう。彼は音楽家ではありません。専門は地理学者。幼少からの目標は通訳や翻訳者になりたいという希望だったそうです。

でも通訳になりたいと言ってはいけないのです。語学の先生になりたいという表現が必要だったそうです。なんかわかりますね。その微妙な違い。

ロシア語は義務で、遅くとも小学5年生には始めるそうです。6歳から加入できるピオニール(Pioneers)という青少年少女の組織があり、14歳になると青いシャツを着るのですが、それが子ども心に誇りだったとか。

Mさんから聞いたお話は驚くことが多かったです。学校生活だけでなく話題は多岐に及びました。Stasi(国家保安省)の存在は聞いていても怖かったし、壁崩壊の頃の旧東独は大気汚染がひどく限界に近かったそうです。

プロジェクターを通して映し出された東西ドイツの地図は、黄色からオレンジ、赤、黒といくつかの色で塗り分けられていました。それは大気汚染の状態だったんですね。

工業地帯の写真は煙突から吐き出される煙で向こうも見えないほど。ですが当時からフィルター等で対応していた西側はほとんど汚染されておらず、地図上では黄色い塗り分けの安全圏。東側も北のほうは農業が主体だったので黄色い分布ですが、南に行くほどオレンジから赤が多く、都市部は黒く無理つぶされています。

都市部というのは、・・・ライプツィヒの周辺でした。

ドレスデンのあたりもオレンジから赤色の危険信号。

その環境下に、世界屈指の伝統ある合唱団がいたというのが驚きでした。学校生活そのものは、もしかしたら一般の学校よりも恵まれていたのかもしれませんが(よくわかりません)、空気をさえぎることはできません。

西の列車が通りすぎるとき、空気がひどいと窓を閉めたこともあったとか。

車を買うのにどれくらい時間がかかるかという話もunbelievableでした。日本でも売れ筋は入荷待ちという場合がありますが、待ちのレベルが違った。

注文してから手に入るまで、17~18年だそうです。子どもが生まれたら発注する。その子が運転免許を取れる年齢の頃には納車できるという具合だそうです。

街の風景も、戦後のまま?と勘違いしそうなほど、痛ましい建築物が残されていました。でなければ、味気ない箱みたいな団地に建て替えとか・・・。

それを考えると、ドレスデンの旧市街地が昔の面影を残す形で復元されているのはほっとする現実ですね。今も作業は継続中なのかな。

2014年10月の写真ですが、跡地を発掘しているのがありました。出どこを明記すれば写真利用しても良いそうなので、借りものですが発掘中のドレスデンです。
中心にあるのが複合施設の文化センターで、その手前に土くれたところがありますね。戦災で焼けた建物の基礎部分だそうです。

Image出典「近代建築の楽しみ」  

壁が崩壊して29年たちました。ニュースで見た壁を超えてくる人々の映像は、私にとっては20世紀最大の奇跡に思えました。その後ソ連も崩壊。91年の夏はフランスのサマースクールに遊びに行っていましたが、ドイツから来ていた学生が教室で新聞を広げ、「君はゴルビーを知っているか?」と私に訊いてきました。

「ゴルビーが監禁された。彼を助けたい」・・・と言っていました。今思うと8月のクーデターが起きた時だった。ドイツの学生はゴルバチョフを支持し、当時の揺れていたヨーロッパの情勢に敏感でした。

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21世紀に生まれた子供たちは、今の時代をしっかり生きています。


Dresdner Kreuzchor

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Muziekgebouw Eindhoven

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旧東ドイツを描いたこんな映画が、来年4月に公開されます。

カウント45秒ぐらいに聞こえてくる合唱曲の「エサイの根より」Es ist ein Ros entsprungenが、トマーナの歌のようにも思える。ちなみにこの映画の舞台はライプツィヒです。

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Mさんが語った東ドイツの食の思い出は、ソリヤンカ Solyankaと呼ばれるスープ。

ロシア料理のひとつだそうです。イベントの休憩時間にふるまわれました。Mさんにとっても久しぶりの味みたいです。

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ドイツ・オーストリアの合唱団」カテゴリの記事

コメント

maa様
今回のmaaさんの東ドイツのお話は(きっと青いお部屋の方にとっても)胸が熱くなる思いで拝読させていただきました。
当時 あの国を良く理解しないまま訪問した私にとってあの国での思い出は 生涯忘れる事の出来ない衝撃的な物でした。
当時トマーナだった友人達が案内してくれた小旅行での列車内での筆談による会話(どこに盗聴機が仕掛けられているか判らない時代です)
帰国後 交わした手紙の検閲された印の黒塗り
信頼していた指導者の崖のように崩された思い 苦しさ
私達には、到底解らないであろう苦しみ。
そんな中で受けた優しさ 心遣い それは言い現せないほどの暖かさでした。
今のトマーナには思い切り愛の歌 神への讃歌を歌い続けてと願うばかりです。

投稿: ek | 2018年11月19日 (月) 00時39分

ekさま こんにちは。
当時の状況を知ると合唱団が日本を旅できたことも、音楽交流という特別な役目あってのこととわかります。
公安のスタッフは9万人、しかしEMと呼ばれる通報者は18万人もいたそうです。近所や親類縁者にも、そういう人がいるかもしれない。勿論ekさんのおっしゃるように、電車の中にも聞き耳をたてている人がいる。
不自由という言葉以上に、恐怖を感じました。トマーナのお友達にとって、日本への手紙は検閲があるとわかっていても、なお心の救いではなかったのではありませんか?
今の子どもたちには心行くまで音楽を楽しみ、世界にはばたいてほしいですね。

投稿: maa | 2018年11月19日 (月) 21時40分

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