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2019年3月15日 (金)

1963年のパリ木、デルシーヌ神父とともにいました。

 

最初のほうに登場する子どもたちは、お世辞にも歌が上手とは言えません。笑 どうしちゃったかな。。。という感じの声。

 

でも後半、合唱団が歌っているシーンではパリ木らしい高音が聞こえてきますね。

 

寄宿生活は昔のウィーン少と同じように、まくら投げと一斉歯磨きで始まります。食事の前にはお祈りをして、Amenのコーラスまであるんですね。従順でかわゆすな・・・

 

時代は1963年です。

 

驚いたことに最初の画面でヤギさんの鳴き声のような、個性的な声を出していた子。

 

最後のソリスト君ではないですか?違うかな? 似てるだけかな。笑

 

デルシーヌ神父の軽妙な仕草、話し方、好きだなぁ。

 

1963年マイエ神父が亡くなり、その後継としてデルシーヌさんがバトンタッチしたばかりの頃。意欲満々の姿勢が感じられます。

 

来日のときのデルシーヌさんの記憶はあまりないのですが、100周年のDVDに収録されていた映像に、フランス中の聖歌隊が集まったイベントで投げキッスをしている姿を見ました。

 

愛されキャラの印象でした。1978年逝去

 

 

最近は人数も減っているし、ピアノ伴奏が当たり前のようになっています。ピアニストがいるもんね・・・・・

 

このさき、どうなっていくんだろう?

 

ハミングだけで作り上げた歌声はどこへ行く?

 

 

今まで気づかなかったYT動画で、行進しながら退場するものがありました。

 

クロチルドさんが指揮をしていた時代で、2013年のソウル公演です。

 

先頭に立ち、腕を高くあげて指揮をしながら、子どもたちをリードするクロチルドさんの美しくかっこいいこと。

 

曲はノルウェーのウエディング・マーチ。ハミングとスキャットで歌っています。

 

パリ木はこうでないと・・・と思います。

 

本質は歌であると承知していますが、この様式美はこれからも伝えてほしい。残念ながらウィーンが捨てた伝統美は、後ろで手を組む姿勢です。

 

パリ木はステージで美しい。等間隔で整列し背中に手を回す。ローブを着ている時は前で腕を組む。声楽的には歌いにくいかもしれませんが、合唱団としてのその姿は本当に美しい。入場するときから後ろで手を組んでいるのですよね。

 

昨年の京都でのサイン会のあと、退場する彼らは、やはり背中の後ろに手をまわして歩いていました。

 

 

 

追記; ← このセミコロンをフランス語で point-virgule といいます。

 

素敵なソロがあったので

 

私は知らずにいたけれど、2008年はソリストだらけだったんですね。来日した子が歌っている「Pueri Concinite」がありました。

 

場所はパリのアンバリッド、旧廃兵院(軍病院)、ナポレオンが眠っている所です。そういえば軍楽隊のようなオケがいるので、説明書きはありませんが軍事関係イベントと思われます。革命記念日かな。

 

ソリストの右後方には、まだ幼い表情のボードワン君もいます。

 

日本でこの曲をソロで歌ったのはマチュー君でしたが、この動画ではルイ・マリー君が歌っている。他にもソリストはたくさんいて、演奏中に隊列から出たり戻ったり、「いつも同じソリスト」ではなかったですね。同じレベルのソリストがソプラノだけでも5人以上いて、アンサンブルでも活躍していました。

 

テナーの少年も、一年前のソウル公演ではソプラノソロで歌っていたり、とにかく歌唱力のあるクラスだったと、今改めて思っています。

 

知らなかったので、それが当たり前のようにパリ木の歌に酔っていました。声量がすごくて、そのよく通る声が体幹の奥までしみていきました。

 

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コメント

しばらくおじゃましてなかったら、たくさん更新されててびっくりです。そしてこの最新のところにデルシーヌ神父の記事と63年の動画!これはオールドパリ木ファンにとっては本当にうれしいです。
 youtubeにたくさんデルシーヌ時代のパリ木の映像はあるけれど、60年代のはあまりないですね。貴重です。
 この動画はたぶん入団試験を受けて、りっぱなソリストになるまでを描いてあるのでしょうね。ウィーン同様この頃のパリ木は狭き門で、試験に受かった子も半年間の訓練の後、正式なメンバーに残れる子は僅かだったようです。

 77年のデルシーヌ氏最後の来日に行かなかったのが、悔やまれます。79年に何も知らずに行って、そこに姿がなかったときは、衝撃でした。それから10年ほどパリ木に行かなかったほどです。でもその後のムーディー氏はりっぱな指導者で、日本でのパリ木の人気はその頃が最高だったのではないですか?ほぼ毎年来日してましたね。

 今モーコアで起こっている事は、40年前のパリ木のこどもたちにとってはもっと大きな出来事だったでしょう。それでも子どもたちは、素晴らしい歌声を聞かせてくれました。彼らを見守る大人がしっかりしていたからでしょう。

投稿: ヤマチャン | 2019年3月16日 (土) 14時01分

ヤマちゃん様
デルシーヌ神父の指揮や音楽指導を好まれるオールドファンは多いと思います。この古いビデオを見ると、子どもの歌う気持ちを引き出そうとしているのがわかります。子どもたちだけの合唱でツアーするようになったのもデルシーヌさんですかね。

https://www.youtube.com/watch?v=DDBfGCAw-V4
このURLの子たちが来日したときのTV番組を友人が録っていました。NHKで見られた記憶はありますか? 友人曰く、こんな子がたくさんいた。それにしてもこの歌唱力には驚かされました。今のパリ木はここまでハイトーンではなく個性もおとなしくなりましたから、時代の変化だけでは語れない残念さを正直感じます。
ウーディさんはマイエ神父の教えを受けた方だそうですね。90年初頭までソリストも華やいでいましたし、私は後年のピエールポンさんの作曲も結構好きで、教会音楽とは離れますが、ハミングによるポップスのアレンジも上手だったなと感じています。

モーコアの件で適切な言葉を下さりありがとうございます。おっしゃるとおり、急逝されたデルシーヌさんのことを思えば、何か月もかけて諭されてきたモーコアの少年たちは、見失うものが少ないかもしれません。
大人がしっかりしていれば、子どもたちは着いて行きますね。まして一介のファンである自分が感情的になってもしかたのないことでした。

投稿: maa | 2019年3月16日 (土) 16時35分

 以前に教えていただいて動画で見ましたが、リアルタイムでは見てませんでした。まさにデルシーヌ神父最後の来日の時のものですね。確かにこの頃は、素晴らしいソリストがたくさんいましたね。
 でもやっぱり私は、60年代の男声の入った原曲のままルネッサンスやバロックの宗教曲を歌っていた頃に一番ひかれてしまいます。その頃はもっと軽やかでそれでいて重厚で深みがありました。少年の声が何というかウィーンもそうなのですけど、おとなっぽかったのですね。
 東京少年少女合唱団の創設者」長谷川新一氏も、最初は少年だけだったのを変えざるおえなかったのは、日本の男の子は声変わりが早くて、どうしても合唱が幼くなってしまうからと著作に書いてありました。
 60年代までの少年たちは大人っぽかったような気がします。
 maaさんの残念な気持ちはわかりますよ。だってようやくめぐりあえた理想の歌声がなくなってしまうかもしれないんですものね。指導者が変われば充分ありうることですもの。昔のことばかりだけど、私もグロッスマン氏からギレスベルガー氏に音楽監督が変った時は残念に思いました。明らかに発声が変り、合唱の精度が落ちたように思いました。モーコアの後継の指揮者の方は、大変なプレッシャーですね。でも期待しましょう。


投稿: ヤマチャン | 2019年3月17日 (日) 13時22分

昔の子は大人っぽい声だった・・・確かにそうですね。67年の動画がYTに出ましたけれど、表情も今の子どもとは違い落ち着いて見えます。時代によって歌声の質が変わってしまうのは、聴く側にはどうしようもないことで、この気持ち、ある意味無念さは指揮者には伝わらないでしょうね。
そうなると何十年も同じ指導者が継続している、または長いことその合唱団に在籍していた人が後を引きついでいる合唱団は、がっちりした屋台骨があるかもしれません。

かと言って、少年合唱団を少年少女合唱団にしてしまうと、たぶん女子の割合が増えますよね。東京少年少女合唱隊の定演を、一昨年は聴きに行きました。カテドラルで美しい演奏でしたが、あまりに女子が多かったので、もう行かないと思います・・・
モーコアは3年生がこれからのコーラスを支えます。9月に入団する子たちをどう牽引するか心配ではありますが、大好きな子たちなので見守りたいです。

ありがとうございました。すごく勇気づけられた気持ちです。

投稿: maa | 2019年3月17日 (日) 22時37分

パリ木の古き良き時代のことを取り上げてくださりありがとうございます。
1970年ごろまでは、選ばれた子供たちがソリストとして何人もいて、ビンビン響かせていました。というか、ソリストの層が厚かったと思います。
どこの少年合唱も音字ような悩みにぶつかり、世界中から団員を集めたり、規則をゆるくして、募集をしないと成り立たないのでしょうね。
また、変声期が早くなっていること、声をたくさ出す生活をしていないことも子供たちの声を変化させているのだと思います。
自分の子供を見ていて、遊びにはいくけどゲームが中心だったりします。
個人的にはトマソン女史が活躍していた頃が好きです。
あの演出には色々と意見はありますが、
子どもだちを愛し、厳しく指導していたことが、動画などで伝わります。
ボードワンやソリストが彼女と目があうと緊張がほぐれたように微笑む姿が好きでした。
世界中の少年合唱が伝統を受け継ぎつつ、新しい感動を私たちに与えてくれることを信じています

投稿: うさぎのはは | 2019年4月14日 (日) 13時27分

うさぎのはは様
仰る通りです。最近また古いウィーン少のレコード録音を聴いているのですが、パリ木と同じように70年代前半ごろまではソリストの層が厚く全体的にも充実しています。だからこそ著名な指揮者から大曲の録音の指名をうけるなどあったのではないかと思います。
時代が変わったと言ってしまえばそれまでですが、合唱団で寄宿舎生活をしなくても、豊かな生活や楽しみはたくさんあります。子どもたちも幼い時は何かにつけ、例えばアニメの主題歌など大きな声で歌いますが、成長にともないそれがなくなりますね。
大きな声で歌うことは、子どもだけでなく大人にも老人にも、身体にいいことだと私は思うんですね。声を合わせることで協調性も生まれるし、達成感もありますよね。でも確かにどこの合唱団も、団員の募集には苦労が伺えます。
YouTube動画で、トマサン先生がリハでソリストを厳しく指導しているのがありますね。他の合唱団にも過去に厳しい先生はいました。でもそうやってすばらしい演奏が生まれる。子どもたちは指導者が良ければ厳しくても着いていきます。上に立つ人には、厳しさと優しさすべてを含めた愛情が必要で、同時にある程度長きにわたって同じ指導者が続けてくれることで信頼も生まれると思います。
デルシーヌ神父の動画で、あのつるつる頭(失礼!)を子どもたちが、ジャンプして触ったり抱きついたりしているのがあります。それだけ愛されている人物だったのですね。そんな指揮者がまた現れてくれるといいですね。

投稿: maa | 2019年4月18日 (木) 21時56分

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