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2020年2月 9日 (日)

グロスマン教授だと思った件

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最初はネクタイの子どもたちがなぜウィーン少年合唱団なのか。これは何かのまちがいだろうと思っていたのですが、指揮者の顔が写ったとたん、ぶっとびました。こんなに間近で若きグロスマン教授の指揮を見たことあったかな・・・。1944年でした。

 

ina franceは面白い映像アーカイブがあるんですね。

1944年・・・歴史年表では先史時代です。思わずフロシャウアー先生を探してしまいましたが、少年ヘルムート君はいませんでした。

録音技術のせいでピャラピャラ声になってしまう。声そのものを聴くと、なんだこれ?と思いますが、コーラスのまとまりは完璧で、質の高さを実感します。40年代は3つのコアしかありませんでしたから、総人数も70人くらいですよね。しかも戦中チロルに疎開もしていた。シュニット神父は追われ、地下潜伏生活を余儀なくされた。そんな時代でした。

 

 

 

 

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以前は64年より前の来日コアのことを知らず、したがって50年代の映像はどれも同じに感じられました。でも今は違う。生まれ変わった自分!

これは59年の映像ですが、見たことのある顔があるみたい。でもじきに照明が暗くなってしまい、あ~っというまにお終いです。

 

さて私が直感で思ったのは、2列目の右端の子がシルハネック君。それじゃこれはフルトモーザー隊?

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Petits chanteurs de Vienne,  6 novembre 1959

月曜日に夜更かし番組を見ながらつけたタイトルのまま、一週間が過ぎました。記事はそのまま進捗なしで、行き詰まってしまいました。

でもシルハネック君だと思った子がいたので、直感を信じてフルトモーザー隊の画像をいくつか確かめてみました。なんかこれが近いぞ!1024x576
WSK,official

フルトモーザー先生が亡くなったとき公開された動画から、一場面を拝借しました。

 

 

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そしてまた、YouTubeの古い動画の中から、あまりちゃんと見ていなかった1949年のクリスマスを見てみました。この映像には1953年と書かれていますが、ウィーン少年合唱団の古いプログラムには1949年とあるので、それを採用します。下記:引用

Aufnahme für die Fernsehsendung Weihnachten 1949
テレビ番組1949年クリスマスの録画

Natürlich sind wir konservativ, aber wir versuchen auch immer wieder mit der Zeit Schritt halten.
勿論私たちは保守的ですが、常に時代に追いつくようにもしています。

Bei den ersten Radiosendungen von Wien haben die Sängerknaben gesungen und die ersten österrleichischen Fernsehsendungen für Amerika haben auch 13 kleine Filme der Sängerknaben eingeschlossen.
ウィーンでの最初のラジオ放送では少年合唱団は歌い、アメリカのためのオーストリアの最初のテレビ放送には合唱団の13の小さい映画も含まれていました。

 


Vienna Boys Choir 1953 - "Merry Christmas"

この映画は、わからないなりに愛を持って注意深く見ると、多少の発見がありました。この白シャツと半袖の重ね着の写真、これ見たことあるなと思ったのですね。それがこの引用のページでした。50年代初期のプログラムです。

「スサニ」の後の曲が思い出せないのですがソロはとても綺麗です。そのあと「来たれ、羊飼いたち」のソロもいいですね。古いプログラムに載っていた写真はここの場面でした。動画では6分9秒ぐらいのキャプチャー。

P1000821-543x800

7分23秒にはシュニット神父が登場して、おっと、「アーメン」とセリフが入りました! 神父の声です。そしてそのあとには大好きなクリスマスの歌「Leise rieselt der schnee」を歌っています。指揮をしているのはきっとカペルマイスターでしょうね。ハープをひいていた人と同じかな。

最後のきよしこの夜のシーンでは、アウガルテンのらせん階段の前にテーブルを置いて、まるでリビングのような設定で、センターに置かれたツリーでクリスマスを祝っています。

テーブルにはシュニット神父と誰かわからない男性がすわっていますが、このかたも当時のカペルマイスターかもしれないです。49年メガネというとラコビッチ氏しか浮かばない。

特別なセリフはありません。おそらくアメリカで放送する作品だから、ドイツ語のセリフがあれば英語字幕をいれなければならない。歌だけならその必要もありません。

らせん階段とセーラー服は永遠不滅の組合せですね。シュニット神父もここに生前の姿を残してくださいました。

 

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久々に中国の動画サイトを見たら、ピャラピャラ声の原点がありました。それにこの歌い方。腕組んでるし・・・。威張ったポーズでニコニコ笑顔っていうのが、なんとも愛らしいです。これって、カソックを着たときに腕組みする形と同じでしょうかね。でも最前列左端の子はなぜか、オーソドックスなスタイルにもどって歌っている。

かなり驚いた1934年のウィーン少年合唱団でした。

 

 

86年前の君たちが歌うスタイルに、未来のファンはびっくりです。ザルツブルク音楽祭に初めて出演し、合衆国やヨーロッパの国々をシュニット神父と旅したのは、誰あろう君たちなのですね。

ありがとう ❤ 💕

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Wiener Sängerknaben」カテゴリの記事

コメント

maa様

まだエンブレムが付かない古い時代の動画が思いのほかきれいな映像で残っているのに驚きます。若き日のグロスマン教授のご指導か、みんな、歌唱力がしっかりしていますよね?
クリスマスの動画は、だいぶ前に、YouTubeで見ましたよ。maa様がupしてくださったと思っていました。YouTubeで全部は見なかったのですが、伝説だと思っているシュニット神父が動き、オルガンを弾き、声を発することが信じられません。現在のWSKの礎を築いた方ですから。

maa様、話は変わりますが、「題名のない音楽会」見ました。ダニエルさんの紹介のテロップが出た時、「父はヘルムート」と書いてありましたね?亡くなってからも名を遺す偉大な音楽家だと思いました。

投稿: ryo | 2020年2月10日 (月) 01時35分

>ryoさま

あのクリスマス動画はさらっとは見ていましたが、そのころは先史時代のことをあまり知らず、頂きものの古いプログラムデータも詳細を忘れていたので、発見がすくなかったです。でも今回はあの映像が50年代のプログラムで紹介されたいたことにも気づき、新たな気持ちで見ることができました。皆さんからいろいろ伺って昔の合唱団のことがわかってきたのは、本当に最近のことなのです。
題名のない音楽会は楽しかったですね。「カラヤンから信頼されていたヘルムート」と書いてありましたね。母国での功績を伝える文言です。ダニエルさんがフロシャウアー先生の息子さんということはオールドなウィーン少年合唱団ファンは知ってるし、あの字幕を見てきっと皆さん喜んだと思います。

投稿: maa | 2020年2月10日 (月) 19時26分

maaさん
おはようございます😃ちょっと一息付いて数ヶ月前のブログを読ませて頂いています。8月は日本人にとって忘れてはいけない季節ですね。戦前のWSKの動画良く見つけられましたね!maaさんのアンテナ凄いです!フロシアウアー先生がまだ赤ちゃんの時代ですね。49年の動画YouTubeで見たことが有りますが此処でじっくり見る事ができて嬉しいです😃ヨセフ・モルナールさんのハープかなぁ?と思っていました。昭和24年の映像ですね?日本と同じ様に敗戦の街中は食べる物も無い、寝るところも無い、きっと孤児が大勢いたのでしょうね?歌の才能が有れば、平和なアウガルテンで穏やかに暮らせたのでしょう⋯。(海外旅行やチロルの山荘で夏は過ごすこともでき幸せに暮らす事ができた)今はコロナとの戦い、マスクは少しずつ店頭に並ぶ様になりましたが、うがい薬が薬局から消えてしまいました。早くワクチンが出来る事を願っています。来年は彼らの歌声を生で聴きたいですね!

投稿: Mieko | 2020年8月 7日 (金) 10時38分


>Miekoさま

自分で書いておきながら、時間がたつと書いたことを忘れちゃう。久々に読むと新鮮な気持ちになります。古い記事を読んでくれてありがとう。先史時代の合唱団は、胸キュンなのです。
シュニット神父が最初に集めた少年たちは12人でした。1934年には少し増えていましたね。ちょうどウィルヘルミーネンベルク城を宿舎として獲得したころです。でも家賃を滞納して差し押さえのシールを家具に貼られることもあったそうですね。あの古い本を読んでいると、シュニット神父が歩いた30年間が小説のように思えます。
クリスマスの映画はアメリカでオンエアされたんですね。ハープを弾いているのは誰でしょう?
1930年代には合唱団側からツアーを申し出ていたようですが、戦後は海外から声がかかるようになり、ヨーロッパやアメリカ演奏旅行に出かけていました。昭和に置き換えると本当に貧しかった時代ということがわかりますね。アウガルテンで勉強し歌える子たちは恵まれていたと思います。55年組のボネシュ君は、お父さんが戦死したと言っていました。
コロナの影響で親元に帰っていた海外組の団員たちが、そろそろウィーンに戻り始めています。8月だからセキルンで練習をするのかもしれないですね。広い空気の良い場所にいたほうが安全です。
うがい薬のイソジンは、すでに高く転売されています。マスクのときと同じです。うがい薬は希釈してありますが、イソジンは手術などのときの消毒薬としてかかせないものだそうですね。ワクチンが開発されることが一番望ましいと思います。

投稿: maa | 2020年8月 8日 (土) 00時44分

maaさん
残暑お見舞い申し上げます。
訳の分からないコメントにお返事頂きありがとうございました。上の若きグロスマン教授の動画に良く似た制服をきている写真を見ました。胸にワッペンが付いています、左袖にも付いていますね。ワッペン今のとは少し違っているような気がします。グロスマン教授は59年から武蔵野音楽大学の客員教授として定期的に来日していた様ですね。昔、少女雑誌にグロスマン教授の話として「日本にもwskの姉妹合唱団を作る」という記事が載っていたのを思い出しました。定期的に来日していたのでお弟子さんがもしかして作ったかも知れません⋯?
終戦直後にはセーラー服では無い制服を使用していますね。進駐軍からの指導があったのかな?
暑さのせいで妄想全開です⋯。熱中症にお気をつけ下さい!

投稿: Mieko | 2020年8月 8日 (土) 16時18分

>Miekoさん

>Miekoさま

え~!もう残暑?
梅雨が明けたばかりで、猛暑なりに夏の実感があったのですが、暦は早いですね。実は梅雨明けの2日前、少し気温が下がった日がありましたが、その夜庭から虫の声が聞こえてきたのです。うちの庭にいるくらいの虫は、エンマコオロギかな?綺麗な声でしたよ。なのでこちらこそ、残暑お見舞いもうしあげます。
グロスマン教授が日本にたびたび来ていたことは知りませんでしたが、少女合唱団の話は聞いたような気もします。ですが私も妄想か勘違いか、もはやわかりませぬわ。笑笑・・・思えば日本の60年代は合唱団の創世記でしたね。
グロスマン教授が指揮をしている動画は、WSKが戦後すぐにパリに行ったときのものです。新しいツアだとナレーションで言っています。セイラー服は水兵さんのユニフォームだから、あえてスーツスタイルにしていたのかな。空爆されたシュテファン聖堂で撮影された映画でも、たしか合唱団はスーツのユニフォームでしたよね。オーストリアも(ドイツや日本同様)敗戦国でした。
歴史は深いですね。歴史に翻弄されながらも、歌が好きで上手な少年たちがいてくれたから、ウィーン少年合唱団は続きました。
******♬*****♫*****♫
Miekoさま、そしてこれを読んでくださっている皆さま、猛暑が続きそうですから熱中症等にご留意ください。無理しないでね。

投稿: maa | 2020年8月 8日 (土) 21時17分

maa さん、おはようございます。
ドイツ語では無い事は分かりましたが、フランス語が分からなかったので⋯説明があったのですね!流石maaさん。45年にフランスに演奏旅行したものですか、わかりました。ありがとうございます。
日本での合唱団は、友人が「東京キンダーコアー」と教えてくれました。今有るかしら?半世紀前のことだから⋯?
ウィーンの街の昔の写真を見ていたら(maaさんも見たかもしれません)映画「野ばら」に出てきた教会の写真がありました。(朝、お爺さんとミサに行った教会の外観)レオポルド地区にあるそうです。ドナウ川が直ぐ横に流れているそうです。「今宵鳴り渡る」シャーリング、レッシュの後ろに映っている教会は何処でしょう?あの映画の中で「きよしこの夜」を歌っている教会はmaaさんのおっしゃる通りハイリゲンクロイツの教会でした。昔、撮った写真にバックのステンドグラスが写っていました。後は、こよい鳴り渡るの教会だけなのですが⋯?

投稿: Mieko | 2020年8月 9日 (日) 10時01分

>Miekoさま

グロスマン教授が作った合唱団ですね。「東京キンダーコアー」って知らないです。当時も知らなかったです。男女の児童合唱団だったのかな。今は子供たちの合唱団そのものが少ないですからね。それに歌うだけじゃ集まらないみたいで、AKBみたいにダンスつきで歌う女子ばっかり(男子1名いたけど)の合唱団を見たことあります。
レオポルド地区の教会・・・映画のシーンは覚えていますよ。Miekoさんはあの教会に行ったことあるんですか?レオポルド地区ってプラーターの方?遊園地からドナウ川まで歩きました。でも野ばらの頃と、随分変わったでしょうね。
ハイリゲンクロイツの教会もいつか行ってみたいです。いつかって、いつだろう?本当にいつ行かれるんでしょうね。
「今宵鳴りわたる」の教会も、きっと今もあると思います。撮影でとんでもない遠距離はないと思うので、たぶん市内に近いところだと思うのです。見つけたいですね。

投稿: maa | 2020年8月10日 (月) 02時55分

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